もくもく探索日誌 2009年12月22日 東京上野
所用があって東京へ出た合間に、上野公園一帯をもくもく探索して
かっての寛永寺の広大な境内を思い浮かべながら2時間歩き廻った。
天気も良く2時間の探索はあっという間に過ぎてしまった。
今回、初めて上野公園を隅から隅まで歩き、公園の雰囲気の変化
に驚いている。
西郷さんも何か小さく感じ、公園としての風景が少なくなっている。
西郷さん
1622年徳川2代将軍秀忠から上野公園(上野台地)の地を与えられた
天海僧正は<東の比叡山>として<東叡山寛永寺>を開創し、増上寺と
ともに徳川将軍家の菩提寺とした。
1625年から1698年に至る70年を掛けて伽藍が整備され、その境内は
現在の上野公園を含む広大な寺域となった。
1688年彰義隊の戦い(上野戦争)でほとんどの伽藍が失われ、1873年
には明治政府によって境内は没収され、公園となった。
しかし、その2年後公園の一部が寺の境内として認められ現在の寛永寺
となっている。その広さは当初の十分の一以下と言われている。
今日の寛永寺からは想像も及ばないが、上野公園のあちこちに残る
わずかな痕跡と建物、及び江戸時代の絵図などからかっての寛永寺を
思い描くこともまた楽しい。
かっての寛永寺の広大な境内を思い浮かべながら2時間歩き廻った。
天気も良く2時間の探索はあっという間に過ぎてしまった。
今回、初めて上野公園を隅から隅まで歩き、公園の雰囲気の変化
に驚いている。
西郷さんも何か小さく感じ、公園としての風景が少なくなっている。
西郷さん
1622年徳川2代将軍秀忠から上野公園(上野台地)の地を与えられた
天海僧正は<東の比叡山>として<東叡山寛永寺>を開創し、増上寺と
ともに徳川将軍家の菩提寺とした。
1625年から1698年に至る70年を掛けて伽藍が整備され、その境内は
現在の上野公園を含む広大な寺域となった。
1688年彰義隊の戦い(上野戦争)でほとんどの伽藍が失われ、1873年
には明治政府によって境内は没収され、公園となった。
しかし、その2年後公園の一部が寺の境内として認められ現在の寛永寺
となっている。その広さは当初の十分の一以下と言われている。
今日の寛永寺からは想像も及ばないが、上野公園のあちこちに残る
わずかな痕跡と建物、及び江戸時代の絵図などからかっての寛永寺を
思い描くこともまた楽しい。