額安寺 (奈良県大和郡山市)
奈良県大和郡山市の南端にある額安寺は、聖徳太子が621年学問修行
の道場(熊凝精舎)を置いた跡地で、熊凝精舎の後身と伝えられている。
一般的には、地元の豪族額田部氏の氏寺(額田寺)が始まりと考えられて
おり、8世紀中頃の伽藍図では金堂・三重塔などを備えた大寺であった。
なお、熊凝精舎は現在の大安寺の始まりと伝えられている。
平安時代以降衰退したが、鎌倉時代に西大寺の叡尊・忍性などによって
再興され、忍性の分骨墓が現在も残っている。
その後盛衰を繰り返し、江戸時代に再興されている。
<全国のお寺総覧>
(1)寺名:額安寺(かくあんじ)
(2)住所:奈良県大和郡山市額田部寺町36
(3)山号:熊凝山(くまごりさん) (4)宗派:真言律宗
(5)開創:不詳 額田部氏と考えられている (6)本尊:十一面観音
(7)その他
1)主な仏像
虚空蔵菩薩半跏像:重要文化財 奈良時代末 像高52cm
文殊菩薩騎獅像:重要文化財 藤原時代 像高32cm
(2009年文化庁購入)
2)本堂:市指定文化財 江戸時代
3)五輪石塔8基:重要文化財 鎌倉時代 忍性墓を含む
五輪石塔納置品:重要文化財 鎌倉時代 忍性骨蔵器など
宝篋印塔:市指定文化財 1260年
4)黒漆六角厨子:県指定文化財 鎌倉時代
5)額田寺伽藍並条里図:国宝 奈良時代中頃 額安寺旧蔵
(現在は、国立歴史民俗博物館蔵)
6)訪問日:2007年3月31日
表門
本堂
境内
<重文>五輪石塔8基
<左端が忍性墓>

忍性墓
宝篋印塔

の道場(熊凝精舎)を置いた跡地で、熊凝精舎の後身と伝えられている。
一般的には、地元の豪族額田部氏の氏寺(額田寺)が始まりと考えられて
おり、8世紀中頃の伽藍図では金堂・三重塔などを備えた大寺であった。
なお、熊凝精舎は現在の大安寺の始まりと伝えられている。
平安時代以降衰退したが、鎌倉時代に西大寺の叡尊・忍性などによって
再興され、忍性の分骨墓が現在も残っている。
その後盛衰を繰り返し、江戸時代に再興されている。
<全国のお寺総覧>
(1)寺名:額安寺(かくあんじ)
(2)住所:奈良県大和郡山市額田部寺町36
(3)山号:熊凝山(くまごりさん) (4)宗派:真言律宗
(5)開創:不詳 額田部氏と考えられている (6)本尊:十一面観音
(7)その他
1)主な仏像
虚空蔵菩薩半跏像:重要文化財 奈良時代末 像高52cm
文殊菩薩騎獅像:重要文化財 藤原時代 像高32cm
(2009年文化庁購入)
2)本堂:市指定文化財 江戸時代
3)五輪石塔8基:重要文化財 鎌倉時代 忍性墓を含む
五輪石塔納置品:重要文化財 鎌倉時代 忍性骨蔵器など
宝篋印塔:市指定文化財 1260年
4)黒漆六角厨子:県指定文化財 鎌倉時代
5)額田寺伽藍並条里図:国宝 奈良時代中頃 額安寺旧蔵
(現在は、国立歴史民俗博物館蔵)
6)訪問日:2007年3月31日
表門
本堂
境内
<重文>五輪石塔8基
<左端が忍性墓>

忍性墓
宝篋印塔