もくもく探索日誌 2009年6月8日 倉敷~赤穂
倉敷にもう一泊したことで、以前訪れて印象に残ったお寺や未訪問
のお寺をお参りすることにした。
まず訪れたのは、岡山県で随一の安産祈願の信仰が篤い不洗観音寺
(あらわずかんのんじ)に朝8時過ぎに到着したので、4人の信者さん
以外人影なし。祈願する人が多いのであろうと想像できる伽藍や境内
の立派なこと。
次に訪れた蓮台寺も厄除け祈願信仰の篤い古刹で、以前は神仏習合
の瑜伽大権現として古くからの信仰を受けていた。
現在は、蓮台寺と由加神社に分かれているが、境内は混在している。
どちらかと言えば、両者の仲は・・・・。権現さんも泣いておられるのでは。
矢張り神仏習合のお寺・神社であった五流尊瀧院と熊野神社へ向かう。
修験道のお寺で、典型的な神仏習合である。
ここも境内が混在しており、明治時代の神仏分離が過酷なものであったか
想像に難くない。
岡山市内へ移動し、外国人修行僧の多い禅寺曹源寺へと向かう。
このお寺は岡山藩主池田家の菩提寺でもあり、池泉回遊式の庭園が
すばらしい典型的な禅寺である。
今回は外国人修行僧を見かけなかったが、禅堂からは警策の音が
静かな境内に響いていた。
ここから県道を牛窓に向かうが、のんびりした風景が展開し地方の
お寺探索の醍醐味でもある。
古刹の弘法寺を経て、竹久夢二ゆかりのお寺静円寺へと向かう。
1884年邑久町で生まれた竹久夢二は16歳までこの地で育ち、
静円寺でよく遊び、その頃を思い出す作品が残っている。
岡山ブルーラインを爽快に走り抜け、備前市の名刹正楽寺に向かう。
静かな境内に落ち着いた伽藍が名刹の雰囲気を漂わせる。
今日最後の赤穂に向かう。
赤穂藩主浅野家の菩提寺であり、赤穂義士の第二の墓所がある
花岳寺は赤穂を訪れる観光客のルートにもなっている。
のお寺をお参りすることにした。
まず訪れたのは、岡山県で随一の安産祈願の信仰が篤い不洗観音寺
(あらわずかんのんじ)に朝8時過ぎに到着したので、4人の信者さん
以外人影なし。祈願する人が多いのであろうと想像できる伽藍や境内
の立派なこと。
次に訪れた蓮台寺も厄除け祈願信仰の篤い古刹で、以前は神仏習合
の瑜伽大権現として古くからの信仰を受けていた。
現在は、蓮台寺と由加神社に分かれているが、境内は混在している。
どちらかと言えば、両者の仲は・・・・。権現さんも泣いておられるのでは。
矢張り神仏習合のお寺・神社であった五流尊瀧院と熊野神社へ向かう。
修験道のお寺で、典型的な神仏習合である。
ここも境内が混在しており、明治時代の神仏分離が過酷なものであったか
想像に難くない。
岡山市内へ移動し、外国人修行僧の多い禅寺曹源寺へと向かう。
このお寺は岡山藩主池田家の菩提寺でもあり、池泉回遊式の庭園が
すばらしい典型的な禅寺である。
今回は外国人修行僧を見かけなかったが、禅堂からは警策の音が
静かな境内に響いていた。
ここから県道を牛窓に向かうが、のんびりした風景が展開し地方の
お寺探索の醍醐味でもある。
古刹の弘法寺を経て、竹久夢二ゆかりのお寺静円寺へと向かう。
1884年邑久町で生まれた竹久夢二は16歳までこの地で育ち、
静円寺でよく遊び、その頃を思い出す作品が残っている。
岡山ブルーラインを爽快に走り抜け、備前市の名刹正楽寺に向かう。
静かな境内に落ち着いた伽藍が名刹の雰囲気を漂わせる。
今日最後の赤穂に向かう。
赤穂藩主浅野家の菩提寺であり、赤穂義士の第二の墓所がある
花岳寺は赤穂を訪れる観光客のルートにもなっている。