もくもく探索日誌 2009年5月29日晴れ 京都修学院~一乗寺
天気予報では曇り後雨模様であったが、朝から快晴に恵まれ探索
に出る気分が足を運ばせ、私の好きな修学院~一乗寺界隈のコース
へと向かう。
新緑と深緑が織りなす風景の修学院離宮を見ながら、禅華院に立ち寄る。
ここには鎌倉時代の大きな石仏があり、風情のある鐘楼門と調和した
佇まいを見せる。
<禅華院>参照
禅華院の前から離宮の敷地を横切って細い道が伸びているが、
<立ち入り禁止>の宮内庁札が立っている。実はこの先に林丘寺が
あり、遠慮しながらも門前まで足を運ぶ。周りはすべて離宮の敷地で
その中にポツンと林に囲まれた尼門跡であった林丘寺がヒッソリと
佇む。江戸時代までは林丘寺の境内であったが、明治時代に入って
門跡制度が廃止され、境内の半分近くを皇室に返還した歴史がある。
残念ながら林丘寺は非公開で、門前で失礼し音羽川沿いに曼殊院へと
向う。
<林丘寺>参照
曼殊院へは何度も足を運んだが、9時少し過ぎた時刻なので、
参拝者も少ないだろうし、<上之台所>が特別公開しているのを
逃す手はないとお参りする。
案の定、一人だけの私はゆっくり庭園を拝観し、上之台所を拝観させて
いただく。立派な台所で、竈も小さいものから大きいものまでが整然と
並び、さすがに門跡寺院の台所と調度類をゆっくり拝観させていただく。
1時間ほどすると参拝者も増え、潮時とばかり失礼する。
<曼殊院>参照
曼殊院から林丘寺の末寺葉山観音(一燈寺)へ立ち寄り、古の葉山観音
を思いやる。
徳川家康開基の円光寺の前で少し休憩。
<円光寺>参照
いよいよ上り坂に入り、詩仙堂の前を通り過ぎ狸谷山不動院への石段に
取りかかる。
鬱蒼と生い茂る木々の間を250段の石段を登る。
今日はスイスイと気分良く登れ、一時の体調不良も解消しつつあることを
実感する。諸願祈祷・成就のご利益で信仰の篤い不動明王を本尊とする
古刹であるが、詩仙堂の観光客はさすがにここまで足を伸ばさないであろう。
舞台造りの本堂から京都市街を眺めると気分爽快!
<KENKO250>という標語で<京都市民健康づくりプラン>を応援するため
250段の石段を10回登って満願達成を!
最高齢者は85歳の人で35回登頂とはり紙!
八大神社にお参りし、詩仙堂のサツキ庭園を拝観し、
親鸞聖人ゆかりの西本願寺北山別院をお参りして家路につく。
<詩仙堂>参照
詩仙堂
に出る気分が足を運ばせ、私の好きな修学院~一乗寺界隈のコース
へと向かう。
新緑と深緑が織りなす風景の修学院離宮を見ながら、禅華院に立ち寄る。
ここには鎌倉時代の大きな石仏があり、風情のある鐘楼門と調和した
佇まいを見せる。
<禅華院>参照
禅華院の前から離宮の敷地を横切って細い道が伸びているが、
<立ち入り禁止>の宮内庁札が立っている。実はこの先に林丘寺が
あり、遠慮しながらも門前まで足を運ぶ。周りはすべて離宮の敷地で
その中にポツンと林に囲まれた尼門跡であった林丘寺がヒッソリと
佇む。江戸時代までは林丘寺の境内であったが、明治時代に入って
門跡制度が廃止され、境内の半分近くを皇室に返還した歴史がある。
残念ながら林丘寺は非公開で、門前で失礼し音羽川沿いに曼殊院へと
向う。
<林丘寺>参照
曼殊院へは何度も足を運んだが、9時少し過ぎた時刻なので、
参拝者も少ないだろうし、<上之台所>が特別公開しているのを
逃す手はないとお参りする。
案の定、一人だけの私はゆっくり庭園を拝観し、上之台所を拝観させて
いただく。立派な台所で、竈も小さいものから大きいものまでが整然と
並び、さすがに門跡寺院の台所と調度類をゆっくり拝観させていただく。
1時間ほどすると参拝者も増え、潮時とばかり失礼する。
<曼殊院>参照
曼殊院から林丘寺の末寺葉山観音(一燈寺)へ立ち寄り、古の葉山観音
を思いやる。
徳川家康開基の円光寺の前で少し休憩。
<円光寺>参照
いよいよ上り坂に入り、詩仙堂の前を通り過ぎ狸谷山不動院への石段に
取りかかる。
鬱蒼と生い茂る木々の間を250段の石段を登る。
今日はスイスイと気分良く登れ、一時の体調不良も解消しつつあることを
実感する。諸願祈祷・成就のご利益で信仰の篤い不動明王を本尊とする
古刹であるが、詩仙堂の観光客はさすがにここまで足を伸ばさないであろう。
舞台造りの本堂から京都市街を眺めると気分爽快!
<KENKO250>という標語で<京都市民健康づくりプラン>を応援するため
250段の石段を10回登って満願達成を!
最高齢者は85歳の人で35回登頂とはり紙!
八大神社にお参りし、詩仙堂のサツキ庭園を拝観し、
親鸞聖人ゆかりの西本願寺北山別院をお参りして家路につく。
<詩仙堂>参照
詩仙堂