笠寺観音 <笠覆寺>(愛知県名古屋市) 尾張四観音
名古屋市南区にある笠寺観音は、徳川家康が名古屋城築城の時、
城の鬼門に当たる四観音を鎮護寺として定めた尾張四観音の
一つである。
736年善光上人が粕畠に小松寺を開いたのが笠寺観音の始まりと
伝えられている。その百数十年後藤原兼平は、荒れた小松寺の観音
に笠を覆せて護っていた娘<玉照姫>を妻とし、現在の地にお寺を
再興して笠寺観音の寺名である笠覆寺としたと言われている。
その後も荒廃を繰り返し、太平洋戦争後今日の姿に再興された。
庶民の観音信仰は篤く、ご利益を求めて参拝者が途切れることが
ない信仰のお寺である。
<尾張四観音>
<全国のお寺総覧>
(1)寺名:笠寺観音(かさでらかんのん)
<正式名:笠覆寺(りゅうふくじ)>
(2)住所:愛知県名古屋市南区笠寺町上新町83
(3)山号:天林山 (4)宗派:真言宗智山派
(5)開山:善光上人 (6)開創:736年
(7)本尊:十一面観音
(8)その他
1)尾張四観音(笠寺観音、荒子観音、甚目寺観音、龍泉寺観音)
2)主な伽藍
本堂:1763年 多宝塔:1644~48年
仁王門:1820年 西門:1814年
3)文化財
妙法蓮華経1巻:重要文化財 平安時代
本尊十一面観音立像:県指定文化財 平安時代
梵鐘:県指定文化財 1251年
銅造十一面観音並び六稜式厨子及び古壅:県指定文化財
笠覆寺文書:県指定文化財 鎌倉時代
4)芭蕉句碑:1687年笠寺観音を訪れて<星崎の闇を見よとや啼千鳥>
<笠寺やもらぬ岩屋も春の雨>
5)宮本武蔵碑
6)訪問日:2009年2月15日

参道

山門

西門

境内

本堂

本堂

玉照姫堂

左から行者堂、地蔵堂、白山社

薬師堂

多宝塔

弘法大師像

千鳥塚

宮本武蔵碑

六地蔵幢

玉照姫を祀る泉増院

城の鬼門に当たる四観音を鎮護寺として定めた尾張四観音の
一つである。
736年善光上人が粕畠に小松寺を開いたのが笠寺観音の始まりと
伝えられている。その百数十年後藤原兼平は、荒れた小松寺の観音
に笠を覆せて護っていた娘<玉照姫>を妻とし、現在の地にお寺を
再興して笠寺観音の寺名である笠覆寺としたと言われている。
その後も荒廃を繰り返し、太平洋戦争後今日の姿に再興された。
庶民の観音信仰は篤く、ご利益を求めて参拝者が途切れることが
ない信仰のお寺である。
<尾張四観音>
<全国のお寺総覧>
(1)寺名:笠寺観音(かさでらかんのん)
<正式名:笠覆寺(りゅうふくじ)>
(2)住所:愛知県名古屋市南区笠寺町上新町83
(3)山号:天林山 (4)宗派:真言宗智山派
(5)開山:善光上人 (6)開創:736年
(7)本尊:十一面観音
(8)その他
1)尾張四観音(笠寺観音、荒子観音、甚目寺観音、龍泉寺観音)
2)主な伽藍
本堂:1763年 多宝塔:1644~48年
仁王門:1820年 西門:1814年
3)文化財
妙法蓮華経1巻:重要文化財 平安時代
本尊十一面観音立像:県指定文化財 平安時代
梵鐘:県指定文化財 1251年
銅造十一面観音並び六稜式厨子及び古壅:県指定文化財
笠覆寺文書:県指定文化財 鎌倉時代
4)芭蕉句碑:1687年笠寺観音を訪れて<星崎の闇を見よとや啼千鳥>
<笠寺やもらぬ岩屋も春の雨>
5)宮本武蔵碑
6)訪問日:2009年2月15日

参道

山門

西門

境内

本堂

本堂

玉照姫堂

左から行者堂、地蔵堂、白山社

薬師堂

多宝塔

弘法大師像

千鳥塚

宮本武蔵碑

六地蔵幢

玉照姫を祀る泉増院