安福寺(京都府木津川市) 平重衡の供養塔(十三重石塔)
京都府木津川市を流れる木津川の畔にある安福寺は、平清盛の五男
重衡の最期の地にあるお寺で、重衡の供養を現在も続けておられる。
平重衡(1157~1185年)は清盛の命を受けて南都を攻め焼討ちに
し、東大寺・興福寺のほとんどが灰塵に帰した。
1184年一ノ谷の戦いで敗れ捕虜となり、鎌倉に護送され源頼朝により
厚遇されたが、1185年南都衆徒の要求により奈良へ送られた。
奈良に入る木津川の畔で供の侍に首を落とさせて果てたと伝えられている。
首は奈良坂に晒され、後に妻の輔子が京都日野の地に葬ったといわれている。
重衡を供養するため安福寺に十三重石塔が建立され、本尊阿弥陀如来は
重衡の引導仏といわれ、本堂は重衡を哀れんで<哀堂>と呼ばれている。
<京都府南部のお寺一覧>
(1)寺名:安福寺(あんぷくじ)
(2)住所:京都府木津川市木津宮ノ裏274
(3)山号:心道山 (4)宗派:西山浄土宗
(5)開山:恵心僧都源信 (6)開創:1001年
(7)本尊:阿弥陀如来
(8)その他
1)十三重石塔:重要美術品 鎌倉時代 平重衡供養塔 高さ450cm
山門
本堂
平重衡供養塔

重衡の最期の地にあるお寺で、重衡の供養を現在も続けておられる。
平重衡(1157~1185年)は清盛の命を受けて南都を攻め焼討ちに
し、東大寺・興福寺のほとんどが灰塵に帰した。
1184年一ノ谷の戦いで敗れ捕虜となり、鎌倉に護送され源頼朝により
厚遇されたが、1185年南都衆徒の要求により奈良へ送られた。
奈良に入る木津川の畔で供の侍に首を落とさせて果てたと伝えられている。
首は奈良坂に晒され、後に妻の輔子が京都日野の地に葬ったといわれている。
重衡を供養するため安福寺に十三重石塔が建立され、本尊阿弥陀如来は
重衡の引導仏といわれ、本堂は重衡を哀れんで<哀堂>と呼ばれている。
<京都府南部のお寺一覧>
(1)寺名:安福寺(あんぷくじ)
(2)住所:京都府木津川市木津宮ノ裏274
(3)山号:心道山 (4)宗派:西山浄土宗
(5)開山:恵心僧都源信 (6)開創:1001年
(7)本尊:阿弥陀如来
(8)その他
1)十三重石塔:重要美術品 鎌倉時代 平重衡供養塔 高さ450cm
山門
本堂
平重衡供養塔