金龍寺(福岡県福岡市) 貝原益軒の墓
平賀源内(1728~1780年)とともに博学の天才といわれた
貝原益軒(1630~1714年)は福岡藩士で、本草学者・儒学者として
多くの著書を著し、平易な文体で多くの人に判るように書かれている。
中でも<養生訓>は最も多く読まれた健康生活書であろう。
金龍寺には貝原益軒夫妻の墓と益軒の銅像がある。
また、劇作家倉田百三(1891~1943年)が1年余り逗留し、
<俊寛>の構想を練ったといわれている。
<全国のお寺一覧>
(1)寺名:金龍寺(きんりゅうじ)
(2)住所:福岡県福岡市中央区今川2-3
(3)山号:耕雲山 (4)宗派:曹洞宗
(5)開基:原田興種 (6)開創:1508年
(7)本尊:釈迦牟尼
(8)訪問日:2007年5月10日
総門
仁王門
境内
本堂
貝原益軒銅像
貝原益軒墓
倉田百三文学碑
貝原益軒(1630~1714年)は福岡藩士で、本草学者・儒学者として
多くの著書を著し、平易な文体で多くの人に判るように書かれている。
中でも<養生訓>は最も多く読まれた健康生活書であろう。
金龍寺には貝原益軒夫妻の墓と益軒の銅像がある。
また、劇作家倉田百三(1891~1943年)が1年余り逗留し、
<俊寛>の構想を練ったといわれている。
<全国のお寺一覧>
(1)寺名:金龍寺(きんりゅうじ)
(2)住所:福岡県福岡市中央区今川2-3
(3)山号:耕雲山 (4)宗派:曹洞宗
(5)開基:原田興種 (6)開創:1508年
(7)本尊:釈迦牟尼
(8)訪問日:2007年5月10日
総門
仁王門
境内
本堂
貝原益軒銅像
貝原益軒墓
倉田百三文学碑