五流尊瀧院(岡山県倉敷市) 修験道総本山
修験道の開祖といわれる役行者の弟子5人が紀州熊野本宮大社と同様の
社殿を児島の現在地に築き、新熊野権現として神仏習合の形態で開創
されたと伝えている。
その後衰退したが、1223年承久の乱により頼仁親王がこの地に配流となり、
頼仁親王により再興された。
明治時代の神仏分離により、新熊野権現は熊野神社と五流尊瀧院に分離され、
戦後五流尊瀧院は<修験道総本山>を宣言した。
現在も三重塔などは熊野神社と接した境内にあり、
本堂などと離れた形態になっている。
修験道の寺らしく雰囲気もゾクーとするものがある。
<岡山県のお寺一覧>
(1)寺名:五流尊瀧院(ごりゅうそんりゅういん)
(2)住所:岡山県倉敷市林952
(3)山号:なし (4)宗派:修験道総本山
(5)開山:役行者の弟子 (6)開創:701年
(7)中興:頼仁親王 1223年
(8)本尊:十一面観音
(9)その他
1)伽藍など
本堂、護摩堂、庵室などは住所地にある
以下のものは熊野神社の横にある
三重塔:県指定文化財 1820年 高さ22m
梵鐘:県指定文化財 1457年
石造宝塔:重要文化財 1240年 後鳥羽上皇の供養塔といわれる
2)本尊十一面観音立像:県指定文化財 鎌倉時代
3)新熊野山:県指定史跡 五流尊瀧院・熊野神社など
4)訪問日:2009年6月8日
役行者像
参道入口
本堂
護摩堂
頼仁親王歌碑
<この里に幾年を過してむ乳木の煙朝夕にして>
三重塔
石造宝塔
熊野神社
社殿を児島の現在地に築き、新熊野権現として神仏習合の形態で開創
されたと伝えている。
その後衰退したが、1223年承久の乱により頼仁親王がこの地に配流となり、
頼仁親王により再興された。
明治時代の神仏分離により、新熊野権現は熊野神社と五流尊瀧院に分離され、
戦後五流尊瀧院は<修験道総本山>を宣言した。
現在も三重塔などは熊野神社と接した境内にあり、
本堂などと離れた形態になっている。
修験道の寺らしく雰囲気もゾクーとするものがある。
<岡山県のお寺一覧>
(1)寺名:五流尊瀧院(ごりゅうそんりゅういん)
(2)住所:岡山県倉敷市林952
(3)山号:なし (4)宗派:修験道総本山
(5)開山:役行者の弟子 (6)開創:701年
(7)中興:頼仁親王 1223年
(8)本尊:十一面観音
(9)その他
1)伽藍など
本堂、護摩堂、庵室などは住所地にある
以下のものは熊野神社の横にある
三重塔:県指定文化財 1820年 高さ22m
梵鐘:県指定文化財 1457年
石造宝塔:重要文化財 1240年 後鳥羽上皇の供養塔といわれる
2)本尊十一面観音立像:県指定文化財 鎌倉時代
3)新熊野山:県指定史跡 五流尊瀧院・熊野神社など
4)訪問日:2009年6月8日
役行者像
参道入口
本堂
護摩堂
頼仁親王歌碑
<この里に幾年を過してむ乳木の煙朝夕にして>
三重塔
石造宝塔
熊野神社