石手寺(愛媛県松山市) 四国八十八ヶ所霊場第51番
四国有数の古刹であり、四国八十八ヶ所霊場第51番である
石手寺はお遍路さんや道後温泉観光客でいつも賑わう観光寺
でもある。
<国宝>二王門や重文の建造物も多く、文化財の宝庫でもある。
こうした古刹の顔とマントラ洞窟が織りなす石手寺は京都や
奈良にない古刹の顔を持っている。
多くのお遍路さんはマントラ洞窟に入りませんが、心を掻き
立てたい人は入ってみるのも一興かも。
何故、古刹にマントラ洞窟を造ったのか?
<重文>訶梨帝母天堂に祀ってある鬼子母神には<子授けの
ご利益>があり、子授け石が評判になっているそうだ。
ここにある石を持って帰り、ご利益があると新しい石を持って
来るという風習だそうだ。
<全国のお寺一覧>
(1)寺名:石手寺(いしてじ)
(2)住所:愛媛県松山市石手2-9-21
(3)山号:熊野山 (4)宗派:真言宗豊山派
(5)開基:越智玉純 (6)開創:728年
(7)本尊:薬師如来
(8)その他
1)四国八十八ヶ所霊場第51番
2)衛門三郎伝説:四国遍路を始めたとされる伝説上の人物で、
石手寺の名前の由来になっている逸話
3)主な伽藍など
二王門:国宝 1318年 仁王像は県指定文化財
本堂:重文 鎌倉時代後期
三重塔:重文 鎌倉時代後期 高さ24m
鐘楼:重文 1333年 袴腰
護摩堂:重文 南北朝時代
訶梨帝母天堂:重文 鎌倉時代後期
五輪石塔:重文 鎌倉時代
大師堂:落書堂とも呼ばれた。夏目漱石・正岡子規などの
落書きがあったが、戦時中に壁が塗り替えられた。
4)梵鐘:重文 1251年
5)不動明王二童子像:県指定文化財
など多数の文化財
6)マントラ洞窟
7)訪問日:2008年9月3日
境内
境内
中門
衛門三郎像
参道
<国宝>二王門
<国宝>二王門
境内
三重塔
三重塔
本堂
本堂
阿弥陀堂
与謝野晶子歌碑
鐘楼
正岡子規句碑
<身の上や御鬮(みくじ)を引けば秋の風>
護摩堂
大師堂
訶梨帝母天堂
子授け石
弘法大師像
絵馬堂
マントラ洞窟入口
韋駄天像
石手寺はお遍路さんや道後温泉観光客でいつも賑わう観光寺
でもある。
<国宝>二王門や重文の建造物も多く、文化財の宝庫でもある。
こうした古刹の顔とマントラ洞窟が織りなす石手寺は京都や
奈良にない古刹の顔を持っている。
多くのお遍路さんはマントラ洞窟に入りませんが、心を掻き
立てたい人は入ってみるのも一興かも。
何故、古刹にマントラ洞窟を造ったのか?
<重文>訶梨帝母天堂に祀ってある鬼子母神には<子授けの
ご利益>があり、子授け石が評判になっているそうだ。
ここにある石を持って帰り、ご利益があると新しい石を持って
来るという風習だそうだ。
<全国のお寺一覧>
(1)寺名:石手寺(いしてじ)
(2)住所:愛媛県松山市石手2-9-21
(3)山号:熊野山 (4)宗派:真言宗豊山派
(5)開基:越智玉純 (6)開創:728年
(7)本尊:薬師如来
(8)その他
1)四国八十八ヶ所霊場第51番
2)衛門三郎伝説:四国遍路を始めたとされる伝説上の人物で、
石手寺の名前の由来になっている逸話
3)主な伽藍など
二王門:国宝 1318年 仁王像は県指定文化財
本堂:重文 鎌倉時代後期
三重塔:重文 鎌倉時代後期 高さ24m
鐘楼:重文 1333年 袴腰
護摩堂:重文 南北朝時代
訶梨帝母天堂:重文 鎌倉時代後期
五輪石塔:重文 鎌倉時代
大師堂:落書堂とも呼ばれた。夏目漱石・正岡子規などの
落書きがあったが、戦時中に壁が塗り替えられた。
4)梵鐘:重文 1251年
5)不動明王二童子像:県指定文化財
など多数の文化財
6)マントラ洞窟
7)訪問日:2008年9月3日
境内
境内
中門
衛門三郎像
参道
<国宝>二王門
<国宝>二王門
境内
三重塔
三重塔
本堂
本堂
阿弥陀堂
与謝野晶子歌碑
鐘楼
正岡子規句碑
<身の上や御鬮(みくじ)を引けば秋の風>
護摩堂
大師堂
訶梨帝母天堂
子授け石
弘法大師像
絵馬堂
マントラ洞窟入口
韋駄天像