宝筐院(京都市右京区) 青もみじと紅葉の風景
平安時代白河天皇の勅願寺として開創された善入寺が宝筐院の
始まりと伝えられている。
南北朝時代に黙庵禅師が禅寺として中興し、1348年四条畷
の戦いで敗れた南朝の忠臣楠木正行を弔って首塚を設けたとい
われる。
正行の相手2代将軍足利義詮はこれを聞いて、自分が死去した後、
正行の首塚の隣に墓を設けるよう依願し、死後そのように墓が
設けられたと伝わる。
江戸時代末期には廃寺となるが、明治時代になって、天皇の忠臣
楠木正行の菩提寺として復興され、正行の首塚と足利義詮の
供養塔が並んで祀られている。
紅葉の名所として人気が高い。
<京都市右京区のお寺一覧>
(1)寺名:宝筐院(ほうきょういん)
(2)住所:京都市右京区嵯峨釈迦堂門前南中院町9-1
(3)山号:善入山 (4)宗派:臨済宗系単立
(5)開基:白河天皇 (6)開創:1073~1087年
(7)本尊:千手観音
(8)その他
1)足利義詮像(画):重要文化財 室町時代
2)訪問日:数回
<伽藍と青もみじの風景>

外観

山門

玄関

本堂

本堂

書院

庭園


楠正行・足利義詮墓所

足利義詮墓(左)楠正行首塚(右)
<紅葉の風景 拝観順路に従って>

外観

山門

庭園


本堂



庭園



本堂




山門に出る

始まりと伝えられている。
南北朝時代に黙庵禅師が禅寺として中興し、1348年四条畷
の戦いで敗れた南朝の忠臣楠木正行を弔って首塚を設けたとい
われる。
正行の相手2代将軍足利義詮はこれを聞いて、自分が死去した後、
正行の首塚の隣に墓を設けるよう依願し、死後そのように墓が
設けられたと伝わる。
江戸時代末期には廃寺となるが、明治時代になって、天皇の忠臣
楠木正行の菩提寺として復興され、正行の首塚と足利義詮の
供養塔が並んで祀られている。
紅葉の名所として人気が高い。
<京都市右京区のお寺一覧>
(1)寺名:宝筐院(ほうきょういん)
(2)住所:京都市右京区嵯峨釈迦堂門前南中院町9-1
(3)山号:善入山 (4)宗派:臨済宗系単立
(5)開基:白河天皇 (6)開創:1073~1087年
(7)本尊:千手観音
(8)その他
1)足利義詮像(画):重要文化財 室町時代
2)訪問日:数回
<伽藍と青もみじの風景>

外観

山門

玄関

本堂

本堂

書院

庭園


楠正行・足利義詮墓所

足利義詮墓(左)楠正行首塚(右)
<紅葉の風景 拝観順路に従って>

外観

山門

庭園


本堂



庭園



本堂




山門に出る