高野山(和歌山県高野町) 壇上伽藍(世界遺産)
高野山は標高800m、東西6km南北3kmの平坦地で、周囲を
1000mの山々に囲まれた山上の盆地である。
816年弘法大師空海は嵯峨天皇から開創の勅許を得て、徐々に堂塔の
建立を始めるが、すべての完成をみる前の835年奥の院で入定した。
空海創案の堂塔すべてが完成したのは887年であった。
高野山は<弘法大師信仰>の中心となっている奥の院とその参道から
成る東地区、<真言密教の根本道場>の中心<壇上伽藍>のある
西地区、東と西の中間にある中央地区に大きく分けられる。
高野山の堂塔は幾度となく落雷などの火災に遭い、比較的新しい
堂塔が多く、開創当初の堂塔は存在しないが、山上の霊場としての
風景が展開されている。
<その1>では高野山の主な堂塔が集中し、弘法大師空海が最初に
建立を始めた<壇上伽藍>をみてみよう。
<高野山のお寺>
(1)主な伽藍
金堂:819年に創建されたが、現在の金堂は1932年再建
大塔(多宝塔):1937年再建 鉄筋コンクリート造り 高さ49m
不動堂:国宝 鎌倉時代前期 檜皮葺 1908年現在地に移築
御影堂:1848年再建
東塔(多宝塔):1984年再建
西塔(多宝塔):1834年再建 高さ27m
孔雀堂:1984年再建
三昧堂:1861年再建
大会堂:1848年再建
愛染堂:1816年再建
准胝堂:1883年再建
六時の鐘:1640年再建
山王院本殿(御社)3棟:重文 1522年再建 春日造り
山王院(拝殿):1594年再建(その後大幅な修築)
(2)壇上伽藍境内:世界遺産 国指定史跡
(3)三鈷の松:空海が唐から帰国の途次、三鈷杵を投げると高野山の
この松にひっかかり、高野山に根拠を置く決意をしたという伝説
(4)町石道の一町石:山麓の慈尊院から大塔までの表参道に一町毎に建てら
れた石塔婆が180基、大塔から奥の院に建てられた36基を町石
といい、その起点になる一町石である。1773年建立
境内
高野山全体案内図
高野山西地区案内図
檀上伽藍案内図
境内
大塔
金堂
御影堂
<国宝>不動堂
<国宝>不動堂
山王院
<重文>山王院本殿
<重文>山王院本殿
蓮池
六時の鐘
東塔
西塔
三昧堂
大会堂
愛染堂
一町石
三鈷の松
孔雀堂(左)准胝堂

1000mの山々に囲まれた山上の盆地である。
816年弘法大師空海は嵯峨天皇から開創の勅許を得て、徐々に堂塔の
建立を始めるが、すべての完成をみる前の835年奥の院で入定した。
空海創案の堂塔すべてが完成したのは887年であった。
高野山は<弘法大師信仰>の中心となっている奥の院とその参道から
成る東地区、<真言密教の根本道場>の中心<壇上伽藍>のある
西地区、東と西の中間にある中央地区に大きく分けられる。
高野山の堂塔は幾度となく落雷などの火災に遭い、比較的新しい
堂塔が多く、開創当初の堂塔は存在しないが、山上の霊場としての
風景が展開されている。
<その1>では高野山の主な堂塔が集中し、弘法大師空海が最初に
建立を始めた<壇上伽藍>をみてみよう。
<高野山のお寺>
(1)主な伽藍
金堂:819年に創建されたが、現在の金堂は1932年再建
大塔(多宝塔):1937年再建 鉄筋コンクリート造り 高さ49m
不動堂:国宝 鎌倉時代前期 檜皮葺 1908年現在地に移築
御影堂:1848年再建
東塔(多宝塔):1984年再建
西塔(多宝塔):1834年再建 高さ27m
孔雀堂:1984年再建
三昧堂:1861年再建
大会堂:1848年再建
愛染堂:1816年再建
准胝堂:1883年再建
六時の鐘:1640年再建
山王院本殿(御社)3棟:重文 1522年再建 春日造り
山王院(拝殿):1594年再建(その後大幅な修築)
(2)壇上伽藍境内:世界遺産 国指定史跡
(3)三鈷の松:空海が唐から帰国の途次、三鈷杵を投げると高野山の
この松にひっかかり、高野山に根拠を置く決意をしたという伝説
(4)町石道の一町石:山麓の慈尊院から大塔までの表参道に一町毎に建てら
れた石塔婆が180基、大塔から奥の院に建てられた36基を町石
といい、その起点になる一町石である。1773年建立
境内
高野山全体案内図
高野山西地区案内図
檀上伽藍案内図
境内
大塔
金堂
御影堂
<国宝>不動堂
<国宝>不動堂
山王院
<重文>山王院本殿
<重文>山王院本殿
蓮池
六時の鐘
東塔
西塔
三昧堂
大会堂
愛染堂
一町石
三鈷の松
孔雀堂(左)准胝堂