興聖寺(京都府宇治市) 四季の風景
1228年中国宋から帰朝した道元は、1233年京都伏見の深草に
興聖寺を開創する。<曹洞宗最初の寺>
その後、1243年道元は越前に下向し、1244年永平寺を開いた。
興聖寺は道元下向後、荒廃し応仁の乱で廃絶した。
1649年淀城主の永井尚政が道元開創興聖寺の状態を憂い、両親の
菩提を弔うためにこの宇治の地に再興した。
現在も曹洞宗の道場として営まれている。
興聖寺は紅葉の名所として、宇治十二景のひとつとして訪れる人も多い。
本堂廊下の天井は<血天井>と呼ばれ、伏見城の遺構といわれている。
<京都府南部のお寺一覧>
(1)寺名:興聖寺(こうしょうじ)
(2)住所:京都府宇治市山田27-1
(3)山号:仏徳山 (4)宗派:曹洞宗
(5)開山:道元禅師(6)開創:1233年
(7)中興開基:永井尚政 (8)本尊:釈迦牟尼
(9)その他
1)伽藍のほとんどが宇治市指定文化財
2)琴坂:総門から山門への参道 紅葉
3)訪問日:数回
<宇治川、総門~参道(琴坂)の風景>

朝霧橋から宇治川上流を

赤い橋の右手に興聖寺総門

総門前の宇治川

総門前の朝霧通り

対岸に浮島十三重石塔

総門

総門

琴坂

琴坂

琴坂

琴坂

琴坂

琴坂周辺

琴坂周辺

琴坂周辺

琴坂周辺

琴坂周辺

山門

琴坂を振り返る

琴坂を振り返る

琴坂を振り返る

山門

山門額縁
<伽藍>

山門
薬医門
境内
本堂
本堂の血天井
僧堂
本堂前庭
大書院
開山堂
経堂

興聖寺を開創する。<曹洞宗最初の寺>
その後、1243年道元は越前に下向し、1244年永平寺を開いた。
興聖寺は道元下向後、荒廃し応仁の乱で廃絶した。
1649年淀城主の永井尚政が道元開創興聖寺の状態を憂い、両親の
菩提を弔うためにこの宇治の地に再興した。
現在も曹洞宗の道場として営まれている。
興聖寺は紅葉の名所として、宇治十二景のひとつとして訪れる人も多い。
本堂廊下の天井は<血天井>と呼ばれ、伏見城の遺構といわれている。
<京都府南部のお寺一覧>
(1)寺名:興聖寺(こうしょうじ)
(2)住所:京都府宇治市山田27-1
(3)山号:仏徳山 (4)宗派:曹洞宗
(5)開山:道元禅師(6)開創:1233年
(7)中興開基:永井尚政 (8)本尊:釈迦牟尼
(9)その他
1)伽藍のほとんどが宇治市指定文化財
2)琴坂:総門から山門への参道 紅葉
3)訪問日:数回
<宇治川、総門~参道(琴坂)の風景>

朝霧橋から宇治川上流を

赤い橋の右手に興聖寺総門

総門前の宇治川

総門前の朝霧通り

対岸に浮島十三重石塔

総門

総門

琴坂

琴坂

琴坂

琴坂

琴坂

琴坂周辺

琴坂周辺

琴坂周辺

琴坂周辺

琴坂周辺

山門

琴坂を振り返る

琴坂を振り返る

琴坂を振り返る

山門

山門額縁
<伽藍>

山門
薬医門
境内
本堂
本堂の血天井
僧堂
本堂前庭
大書院
開山堂
経堂