金戒光明寺(京都市左京区) 黒谷さん
法然上人源空は1175年43歳の時、専修念仏を説くべく28年間修行した
比叡山を下り、最初に草庵を結んだ地が金戒光明寺の黒谷であった。
法然上人は同年この地を弟子に与え、広谷を経て吉水の地に草庵を結んだ。
吉水の地が知恩院の発祥の地で、広谷が浄土宗開宗の地となっている。
<法然上人足跡とゆかりの寺>
江戸時代末期には金戒光明寺に幕府の京都守護職が置かれ、会津藩が
その任に当った。会津藩士の墓地もある。
新撰組は京都守護職の管轄のもと、この地で生まれたといわれている。
現在は、浄土宗七大本山のひとつであるが、京都でも知る人は多くない
静かなお寺である。
<京都のお寺総覧>
(1)寺名:金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)<通称:黒谷さん>
(2)住所:京都市左京区黒谷121
(3)山号:紫雲山 (4)宗派:浄土宗大本山
(5)開基:法然上人 (6)開創:1175年
(7)本尊:阿弥陀如来
(8)その他
1)法然上人二十五霊跡第24番
1)主な伽藍
御影堂:1944年再建 法然上人像を安置
阿弥陀堂:1605年
文殊塔(三重塔):重文 1633年 高さ22m
山門:1860年
塔頭西翁院茶室(反古庵):重文 江戸時代中期
2)主な仏像
本尊阿弥陀如来座像:藤原時代
千手観音立像:重文 藤原時代
3)直実鎧掛けの松:2代目 市指定保存樹
4)訪問日:数回
総門
三門
三門
三門から御影堂を望む
経蔵
境内
御影堂
御影堂
直実鎧掛けの松
<熊谷直実が戦いの後、この松に鎧を掛けて出家した伝説>
境内
阿弥陀堂
<重文>三重塔(文殊塔)
三重塔
三重塔
三重塔からの眺望
唐門
大方丈
大方丈前庭
方丈庭園
方丈庭園
法然上人廟
西翁院
栄摂院
栄摂院
比叡山を下り、最初に草庵を結んだ地が金戒光明寺の黒谷であった。
法然上人は同年この地を弟子に与え、広谷を経て吉水の地に草庵を結んだ。
吉水の地が知恩院の発祥の地で、広谷が浄土宗開宗の地となっている。
<法然上人足跡とゆかりの寺>
江戸時代末期には金戒光明寺に幕府の京都守護職が置かれ、会津藩が
その任に当った。会津藩士の墓地もある。
新撰組は京都守護職の管轄のもと、この地で生まれたといわれている。
現在は、浄土宗七大本山のひとつであるが、京都でも知る人は多くない
静かなお寺である。
<京都のお寺総覧>
(1)寺名:金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)<通称:黒谷さん>
(2)住所:京都市左京区黒谷121
(3)山号:紫雲山 (4)宗派:浄土宗大本山
(5)開基:法然上人 (6)開創:1175年
(7)本尊:阿弥陀如来
(8)その他
1)法然上人二十五霊跡第24番
1)主な伽藍
御影堂:1944年再建 法然上人像を安置
阿弥陀堂:1605年
文殊塔(三重塔):重文 1633年 高さ22m
山門:1860年
塔頭西翁院茶室(反古庵):重文 江戸時代中期
2)主な仏像
本尊阿弥陀如来座像:藤原時代
千手観音立像:重文 藤原時代
3)直実鎧掛けの松:2代目 市指定保存樹
4)訪問日:数回
総門
三門
三門
三門から御影堂を望む
経蔵
境内
御影堂
御影堂
直実鎧掛けの松
<熊谷直実が戦いの後、この松に鎧を掛けて出家した伝説>
境内
阿弥陀堂
<重文>三重塔(文殊塔)
三重塔
三重塔
三重塔からの眺望
唐門
大方丈
大方丈前庭
方丈庭園
方丈庭園
法然上人廟
西翁院
栄摂院
栄摂院