総見寺<摠見寺>(滋賀県近江八幡市安土町) 織田信長が安土城の一角に創建
織田信長は安土山(199m)の頂上に1576年から3年かけて安土城を
築城したが、その一角にほぼ同時期に総見寺を創建している。
信長は何故お寺を城の一角に設けたのであろうか。
信長が宗教弾圧をし、あちこちのお寺を壊滅状態にしてきた経緯を
見ると頷けないものがある。
信長も人々の信仰心に耳を傾けようとしたのだろうか。
安土城跡の発掘調査が進み、大手道などが復興されており、当時の
様子が徐々に解明されてきている。
10年にも満たない命であった安土城ではあるが、総見寺は1854年の
大火で本堂などを焼失するまで生き続けたが、明治時代以降は衰退
していった。
現在は、三重塔・二王門が創建当時のままで残っており、仮本堂が
徳川家康屋敷跡に建っている。
焼けた本堂跡も残っており、再建の話もあるようだ。
<滋賀県湖東地域のお寺一覧>
(1)寺名:総見寺<正式名:摠見寺(そうけんじ)>
(2)住所:滋賀県安土町下豊浦6367
(3)山号:遠景山 (4)宗派:臨済宗妙心寺派
(5)開山:剛可正仲 (6)開基:織田信長
(7)開創:1573~82年 (8)本尊:釈迦牟尼
(9)その他
1)重要文化財伽藍
三重塔:1454年 高さ20m
二王門:1571年 他の寺から移築
2)仮本堂:1854年の大火で焼失後、徳川家康屋敷跡に建立
3)金剛力士立像:重文 室町時代
4)訪問日:2006年11月21日
復興された安土城大手道
仮本堂と大手道
<重文>二王門
<重文>二王門
<重文>仁王像
参道
<重文>三重塔
<重文>三重塔
本堂跡
織田信長廟
築城したが、その一角にほぼ同時期に総見寺を創建している。
信長は何故お寺を城の一角に設けたのであろうか。
信長が宗教弾圧をし、あちこちのお寺を壊滅状態にしてきた経緯を
見ると頷けないものがある。
信長も人々の信仰心に耳を傾けようとしたのだろうか。
安土城跡の発掘調査が進み、大手道などが復興されており、当時の
様子が徐々に解明されてきている。
10年にも満たない命であった安土城ではあるが、総見寺は1854年の
大火で本堂などを焼失するまで生き続けたが、明治時代以降は衰退
していった。
現在は、三重塔・二王門が創建当時のままで残っており、仮本堂が
徳川家康屋敷跡に建っている。
焼けた本堂跡も残っており、再建の話もあるようだ。
<滋賀県湖東地域のお寺一覧>
(1)寺名:総見寺<正式名:摠見寺(そうけんじ)>
(2)住所:滋賀県安土町下豊浦6367
(3)山号:遠景山 (4)宗派:臨済宗妙心寺派
(5)開山:剛可正仲 (6)開基:織田信長
(7)開創:1573~82年 (8)本尊:釈迦牟尼
(9)その他
1)重要文化財伽藍
三重塔:1454年 高さ20m
二王門:1571年 他の寺から移築
2)仮本堂:1854年の大火で焼失後、徳川家康屋敷跡に建立
3)金剛力士立像:重文 室町時代
4)訪問日:2006年11月21日
復興された安土城大手道
仮本堂と大手道
<重文>二王門
<重文>二王門
<重文>仁王像
参道
<重文>三重塔
<重文>三重塔
本堂跡
織田信長廟