西念寺(茨城県笠間市) 浄土真宗立教開宗の聖地(親鸞聖人ゆかりの寺)
1207年に、法然上人は讃岐へ、親鸞聖人は越後へ流罪となって後
1214年常陸国稲田の領主であった稲田頼重の招きに応じて、妻子ともども
この地に草庵を結んだのが西念寺の始まりとされている。
親鸞聖人はこの地を拠点に関東・東北の布教をしながら、浄土真宗の根本聖典
<教行信証>の草稿を書き始め、約20年間この地で暮らした。
その後、京へ妻子を残して旅立った。
なぜ京へ帰ったのか(妻子を残して)は明らかではないが、浄土真宗の確立に
自信が湧いたのではないだろうか。
親鸞聖人はその後1262年90歳(満89歳)で亡くなっている。
その時末娘の覚信尼などが看取っている。
稲田頼重の子孫がこの草庵の跡地に寺を開創し、それが現在の西念寺と
なっている。明治時代に火災にあい、現在の建物はそれ以降のものである。
<茨城県のお寺一覧>
(1)寺名:西念寺(さいねんじ)<別名:稲田御坊>
(2)住所:茨城県笠間市稲田560
(3)山号:稲田山 (4)宗派:浄土真宗別格本山(単立)
(5)開山:親鸞聖人 (6)開創:1214年(草庵を結んだ)
(7)本尊:阿弥陀如来
(8)その他
1)主な伽藍
本堂:1995年再建
頂骨堂:1925年再建 親鸞聖人の骨が奉られていると伝えられている。
2)お葉つき銀杏:県指定天然記念物 葉に実がなる
3)訪問日:2008年5月18日
参道
山門
太鼓楼
本堂
お葉つき銀杏
お葉つき銀杏
親鸞聖人像
庭園
太子堂
頂骨堂
1214年常陸国稲田の領主であった稲田頼重の招きに応じて、妻子ともども
この地に草庵を結んだのが西念寺の始まりとされている。
親鸞聖人はこの地を拠点に関東・東北の布教をしながら、浄土真宗の根本聖典
<教行信証>の草稿を書き始め、約20年間この地で暮らした。
その後、京へ妻子を残して旅立った。
なぜ京へ帰ったのか(妻子を残して)は明らかではないが、浄土真宗の確立に
自信が湧いたのではないだろうか。
親鸞聖人はその後1262年90歳(満89歳)で亡くなっている。
その時末娘の覚信尼などが看取っている。
稲田頼重の子孫がこの草庵の跡地に寺を開創し、それが現在の西念寺と
なっている。明治時代に火災にあい、現在の建物はそれ以降のものである。
<茨城県のお寺一覧>
(1)寺名:西念寺(さいねんじ)<別名:稲田御坊>
(2)住所:茨城県笠間市稲田560
(3)山号:稲田山 (4)宗派:浄土真宗別格本山(単立)
(5)開山:親鸞聖人 (6)開創:1214年(草庵を結んだ)
(7)本尊:阿弥陀如来
(8)その他
1)主な伽藍
本堂:1995年再建
頂骨堂:1925年再建 親鸞聖人の骨が奉られていると伝えられている。
2)お葉つき銀杏:県指定天然記念物 葉に実がなる
3)訪問日:2008年5月18日
参道
山門
太鼓楼
本堂
お葉つき銀杏
お葉つき銀杏
親鸞聖人像
庭園
太子堂
頂骨堂