興福寺(奈良県奈良市) 変貌するか興福寺

南都北嶺(北の比叡山延暦寺、南の興福寺)といわれた奈良時代~
室町時代の興福寺が変貌するのか。
奈良公園の中に雑然とした堂塔が散らばる今の興福寺が、中金堂の
再建によって古の風景を蘇らせるのか。
2018年中金堂が再建され、整備が進んでいる。
同じ法相宗大本山である薬師寺が蘇ったように。

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                 中金堂

法隆寺、東大寺、薬師寺を除いた南都七大寺の変貌こそが古都奈良の
再生にかかっている。
徹底した観光志向なのか、庶民信仰なのか見えない部分が多い。
その筆頭が興福寺であり、多くの文化財が埋没しているのではないか。
<現代社会におけるお寺>を見る思いがする。

興福寺は、669年藤原鎌足夫人が夫の病気平癒を祈願して今の京都市
山科区に山階寺を創建したことから始まり、藤原京を経て、710年
現在の地に移り興福寺とした。お寺は藤原氏の私寺であったが、その後
国家の支援を受けて官寺となった。

1180年平重衡の兵火にあい、東大寺とともに壊滅状態となったが、
解脱上人などが中心となって再興されたが、1717年には火災に
あっている。

明治時代になり、廃仏毀釈によって塀などもなくなり、文化財も多くが
四散し、春日大社も分離させられた。この時の衰退が今も尾を引いている。

(1)寺名:興福寺(こうふくじ) 
(2)住所:奈良県奈良市登大路町48
(3)山号:なし (4)宗派:法相宗大本山 
(5)実質開基:藤原不比等 (6)開創:669年 
(7)本尊:釈迦如来
(8)その他
1)古都奈良の文化財として世界遺産
2)西国三十三所観音霊場第9番:南円堂
3)南都七大寺、西国薬師霊場
4)主な伽藍
  中金堂:2018年再建
  五重塔:国宝 1426年 高さ51m 日本で2番目(東寺が1番)
  東金堂:国宝 1415年
  三重塔:国宝 鎌倉時代 高さ19m
  北円堂:国宝 1210年
  南円堂:重文 1741年
  大湯屋:重文 室町時代
  仮中金堂:旧薬師寺金堂 現在再建計画中
  国宝館:1959年 鉄筋造り 文化財収蔵
5)主な国宝仏像
  弥勒仏座像:1212年頃 運慶 北円堂安置
  無著・世親立像:1212年頃 運慶 肖像彫刻の最高傑作 北円堂安置
  不空羂索観音坐像:1189年 康慶 南円堂安置
  八部衆立像:奈良時代 国宝館安置 有名な阿修羅像など
  他に13件の仏像

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                 中金堂

2(29-0003)興福寺 (9).JPG
  
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               <国宝>五重塔

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               <国宝>五重塔
            <手前に中金堂の基壇>

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               <国宝>三重塔

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               <国宝>東金堂

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               <国宝>東金堂

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               <国宝>北円堂

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               <国宝>北円堂

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              <重文>南円堂

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              <重文>大湯屋

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                仮中金堂

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                 国宝館

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                本坊表門

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               子院の菩提院


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