五村別院 (滋賀県長浜市) <重文>本堂
真宗大谷派東本願寺の別院である五村別院は1597年教如上人
によって開創されたお寺であるが、本願寺が西本願寺と東本願寺に
分かれる前の、教如上人安住のお寺になるはずであった。
教如上人は本願寺12世となるべく11世顕如上人の長子であったが、
石山本願寺の戦いで信長と徹底抗戦を主張した人物として秀吉は
教如を斥け、准如を12世として京都堀川の地に本願寺を建立させた。
関ヶ原合戦の後、1602年徳川家康は本願寺の勢力を恐れ本願寺分断
作戦の一貫として、教如をして京都烏丸の地に東本願寺を建立させることに
よって本願寺を分断したのである。
開祖親鸞から11世までは本願寺、12世から西本願寺12世准如、
東本願寺12世教如と並立して真宗は歩むのである。
なお現在では、西本願寺は通称で正式名は本願寺、東本願寺は真宗本廟
という。
<滋賀県湖北地域のお寺一覧>
(1)寺名:五村別院(ごむらべついん)
(2)住所:滋賀県長浜市五村150
(3)山号:なし (4)宗派:真宗大谷派東本願寺別院
(5)開山:教如上人(6)開創:1597年
(7)本尊:阿弥陀如来
(8)その他
1)重文伽藍
本堂:1730年
表門:1674年
2)教如上人の廟所
3)訪問日:2007年4月24日
遠景
表門
本堂
本堂
教如上人像
教如上人廟
太鼓楼
によって開創されたお寺であるが、本願寺が西本願寺と東本願寺に
分かれる前の、教如上人安住のお寺になるはずであった。
教如上人は本願寺12世となるべく11世顕如上人の長子であったが、
石山本願寺の戦いで信長と徹底抗戦を主張した人物として秀吉は
教如を斥け、准如を12世として京都堀川の地に本願寺を建立させた。
関ヶ原合戦の後、1602年徳川家康は本願寺の勢力を恐れ本願寺分断
作戦の一貫として、教如をして京都烏丸の地に東本願寺を建立させることに
よって本願寺を分断したのである。
開祖親鸞から11世までは本願寺、12世から西本願寺12世准如、
東本願寺12世教如と並立して真宗は歩むのである。
なお現在では、西本願寺は通称で正式名は本願寺、東本願寺は真宗本廟
という。
<滋賀県湖北地域のお寺一覧>
(1)寺名:五村別院(ごむらべついん)
(2)住所:滋賀県長浜市五村150
(3)山号:なし (4)宗派:真宗大谷派東本願寺別院
(5)開山:教如上人(6)開創:1597年
(7)本尊:阿弥陀如来
(8)その他
1)重文伽藍
本堂:1730年
表門:1674年
2)教如上人の廟所
3)訪問日:2007年4月24日
遠景
表門
本堂
本堂
教如上人像
教如上人廟
太鼓楼