親鸞聖人の晩年になってからの直弟子である唯円大徳が、1274年
下市に草庵を築いたのが立興寺の始まりと伝えられている。
名著といわれる歎異抄の作者は唯円大徳といわれ、本願j寺3代の覚如
に教授している。
その唯円は下市の地で亡くなったといわれ、立興寺裏山に墓がある。
なお、親鸞聖人の関東時代における高弟24人を二十四輩と呼んで…
市川町南西部にあって、奥地区の観音寺山(214m)の麓に
建つのが観音寺である。
観音寺山の山頂には、4世紀を下らない前方後円墳の観音寺山
古墳があり、それを観音寺が管理している。
観音寺山と観音寺
観音寺山古墳説明板
観音寺の開創は不詳であるが…